親子3代馬主80年

Stay Homeということもあり、家にいながら本を読む時間も増えました。

で、そのなかで読んだのが「親子3代馬主80年」(中村勝五郎著)です。

こういう本、一昔前では神保町の古本屋で探さないとお目にかかれない本ですが、最近だとAmazonでクリックするだけ、便利な世の中になりました。

著者である3代目中村勝五郎氏は、たしか、山口瞳のエッセイにたまに登場して、いつも馬券を買わない中山競馬場の大物馬主という印象でした。

もとをたどると中村勝五郎家は、中山競馬場周辺の名家であり、いまから100年前の大正9年(1920年)に誕生した中山競馬倶楽部、さらにはその前の総武競馬会から代々馬主をされておられる方。4代目の勝彦氏も継続しておられるようで、本書は昭和59年(1984年)、そこから現在までとなると100年以上になるのでしょうか、100年も継続して馬主という事業をされている、素晴らしいと思います。

で、3代目勝五郎氏、馬主になったのが昭和の初めで、戦前は各競馬場の競馬は倶楽部組織によって運営されていたという。そして、その入会は厳しいものだったらしく

ご存知のように戦前の競馬は各倶楽部組織によって運営されていた。

横浜の日本レース倶楽部、東京競馬倶楽部、中山、京都、阪神、札幌、函館、福島、新潟、小倉、宮崎の各倶楽部があったのだが、この倶楽部の入会資格がなかなか厳しいものだった。

人格、識見、社会的地位の資格条件を満たさなければいけないと規約にうたっているが、そのほかに調教師、騎手など厩舎関係者とのつきあい、競馬関係者から競馬のためになる人間と認められてはじめて賛助会員となり、数年をかけて正式に入会を認められるというものだった。(同書p53)

 

こうした倶楽部から大きく変わったのは、太平洋戦争後、昭和21年秋、東京・京都で競馬が再開、主催は倶楽部を束ねた日本競馬会。しかし、当時のGHQが、この形態を「独占的」としてアンチトラスト扱いをする。この根拠は、「日本では賭博は刑法で禁じられている。これがために特別に競馬法を作って行っているのだから、日本競馬会は私的な独占団体ではない」(p81)というロジックを振りかざすものの、GHQもなかなか折れないなかで、著者の父である二代目勝五郎氏が競馬を健全に発展させるためには民営化でなくてはならいという強い意志のもと、「民間移管とその形態は日本放送協会のような特殊法人が適当」という主張が通り、昭和29年、中央競馬会法案が成立、いまの運営となりました。

今は、新型コロナウィルス拡大感染防止の影響で無観客競馬が続いていますが、たとえ、無観客であっても、競馬が開催できているのはこうした偉大な先人のおかげであり、改めて感謝をしたいと思います。

 

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